2022年08月31日

百嶋神社考古学研究会通算 017 新シリーズ     「佃 収」九州王朝論 ❶

百嶋神社考古学研究会通算 017 新シリーズ     「佃 収」九州王朝論 ❶


                       百嶋神社考古学研究会 奈東 南雄


202265日、当会は提携グループの丁巳歴主塾は全力を挙げて、佃 収 先生の講演会を行いました。

埼玉県からお越し頂いた佃先生は、今尚、古代史の世界で最先端の研究を続けられている九州王朝論の第一人者ですが、元々、熊本県玉名市のご出身であったことから、玉名市、旧菊水町(和水町)方面で講演をされていました。勿論、当会も10年程前から何回かの講演を取り組んでおりましたが、遠方でもあり、まだ、古田九州王朝論の占有率は非常に高く、佃研究を知らない方が大半でした。

今般、菊水史談会が、三年間のブランクを打破し、529日(日)に和水町での講演会を行われるのに併せ、1週間後の日曜日に北九州市でも連続した講演会を取り組む事に致しました。

その間、先生には博多で博物館、図書館などを廻られ、新たな資料の調査をされたのですが、本来ならば、土日若しくは連休を利用し、中一日で講演会が準備できれば良かったかも知れません。

会場の問題もあり、急施の事もあり、このような形になってしまいました。

ともあれ、菊水40名、北九州市戸畑区60名の延10時間もの講演を何とか行うことができ、ほっとしているところですが、来年は、準備を万端整え、100人、6時間程度のさらに充実した講演会を行いたいと考えているところです。いずれにせよ、ご協力頂いた方々には改めて感謝致すところです。

無題.png

ここで、神社研究からは多少逸れますが、百嶋神社考古学研究会のユーチューブ動画に延10時間に上る講演会の講演のドキュメントを音声で1時間程度づつ公開したいと思います。

 一部には、神社考古学のサイトで、何故、本格的古代史に取り組むのかと訝しがる方もおられるでしょうが、百嶋先生も“九州王朝論が分からない者に神社の話してもしょうがないし話したいとも思わない”といった話をされておられた事を思い出します。

 今後、佃先生の講演をお聴き頂けると思いますが、佃先生も半島の倭国と消失について触れておられます、同様に、百嶋先生も朝鮮半島の倭国について話しておられますので、是非注意してお聴き頂きたいと思います。なお、今回の講演は、冒頭に掲示した「日本古代史の復元」(−佃収著作集―)の新「日本の古代史」(佃説)副題、早わかり「日本通史」(概要篇)に基づき行われました。そこで、講演用のテキストを併せてお読みいただきたいのですが、ネットから拾い出すと、以下の画面が出てきます。 

和水、戸畑での講演も、これをテキストに行われています。この本は一般向けの入門書として講演用に作成されたものです。ただ、これだけでも理解するには、通説派のクモの巣を何度も払い落とし、振りほどかなければならず、何度も読む必要のある十分に読み応えのあるものとなっています。

本来は同著を購入され手元に置かれるべきですが、手っ取り早くは、以下のスキャニング・データをお読みいただいても良いでしょう。

ただ、好い加減なスキャニングですので、画像が鮮明ではなく新本を購入される方が良いでしょう。

この本は講演時のテキストとして作成された佃収全著の縮刷版で、佃九州王朝論の概要が分かります。

丁己歴史塾、太宰府地名研究会でも在庫を持っており、テキストを必要とされる方は下記にご連絡ください。送料別1200円(本来の定価は1600円)


太宰府地名研究会事務局 中島 090-52892994

        編集員 古川 090-62983254

新「日本の古代史」(佃説)副題、早わかり「日本通史」(概要篇)


 送料は必要になりますが、当会でもある程度の残部がありますので、1600円の本著を1200円+送料でお送りできます。電話での連絡は百嶋神社考古学研究会 奈東 南雄 連絡は、太宰府地名研究会 編集員の古川氏まで090-62983254。又は百嶋神社考古学研究事務局090-5289-2994中島へ

無題.png

では、ユーチューブから佃先生の生の音声を検索して百嶋神社考古学研究 08 をお聴き下さい。

 以後、和水町での➊〜❹まで約6時間、北九州市戸畑区での❺〜❻の6本を公開します。

 また、当会のメンバーである「事代主のブログ」氏により、戸畑講演については画像付きのDVD音声も公開する予定です。 

/(sun) 丁己歴史塾+太宰府地名研究会主催 佃 収 北九州市講演 へのお誘い

202265日(日)13001700 60人規模で佃 収 講演を北九州市(戸畑区)で行います

会場   福岡県北九州市戸畑区汐井町16 ウェルとばた 8F JR鹿児島本線 戸畑駅 隣

講演者 『古代文化を考える』(同人誌)主宰 佃 収 (著書多数) 参加費1000

テーマ 熊本は「貴国から高市天皇」でした北九州では、「日本人の起源」〜「倭の五王」まで

テキストとして「日本通史」(概要編)新「日本の古代史」(佃説)1200円当日:40部限定
無題.png

佃 収氏の講演会を長年に亘って実施されてこられた事だけでも敬服に値しますが、菊水史談会の功績は何と言っても「納音(ナッチン)九州年号対応表」(和水町の旧庄屋の住居に保管されていた古文書の一部)の確保でした。これは長年に亘って佃 収先生の著書を隈なく読み込んで来られた前垣事務局長でなければ発見できなかった功績であり、あれほどの実例のある「九州年号」を認めない教育委員会や学芸員(通説が嫌がる九州王朝実在の証拠だからです)が如何に無視しようとも歴史的業績は消え去る事は無いでしょう。「九州年号」には「二中歴」を始めとして「海東諸国紀」「如是院年代記」「本朝皇代記」「和漢春秋暦」「興福寺年代記」「王代年代記」…など実際には20以上の実用例があり、明らかに近畿大和政権以前に実在し使用されていた言わば九州王朝を現在に伝える物証なのです。ただ、この幾つかに分かれた年号群は大半は対応するも、初年号が幾つかのもので「継体」「善記」と異なるとか、使用期間が違うと言った点があり、初歩的な議論では磐井の乱で九州王朝を滅ぼしたはずの継体(福井県から出てきたなどと言われる)の名が付された「継体」が何故九州年号と言えるのかと言った話まで出ていたのでした。

そこでお考え頂きたいのですが、この「九州年号」に幾つかの系統があり、それが九州王朝の分裂と関係があるのではないかと指摘されたのが佃 収先生でした。皆さんも後醍醐天皇と南北朝騒乱期の事は良くご存じの事と思います。近畿大和朝廷の延長上の内戦時においても従来の年号は使用されており、南北朝期の60年間は互いに別々の年号を創っていたのです。後に南朝の後亀山天皇は、統合を受諾し三種の神器が後小松天皇の御所に移され南北朝分裂が終わり、この時南朝の年号が廃止しされ北朝の年号「明徳」が存続したのでした。これについて古代史の復元シリーズ 5》「倭の五王と磐井の乱」を読まれるべきですが、新著の早わかり「日本通史」(概要編)新「日本の古代史」(佃説)第2二部第1章物部麁鹿火政権(佃説)以下第2章阿毎王権(俀国)、第3章豊王権、第4章上宮王権、第5章天武王権、第6高市天皇…をお読みください。実に素晴らしいクレバーな解析です。

古田武彦が鬼籍に入り、続く多くの研究者も続き九州王朝論を正しいと考える研究者は、佃 収氏と僅かな方しか残っておらず、何れ、九州王朝って何のことだと言われる時代が目前に来ています。かつては九州王朝を意識した研究会もあったのですが、研究者を失い村興し町興し果ては世界遺産登録に浮かれ、通説派の教育委員会関係者や学芸員のご高説を賜り賛意を表する状況では早晩九州王朝研究も消失するでしょう。中には自称九州王朝論の研究者と称すも、行政の芸人に成り下がる方々も出るようではさぞかし古田武彦も草葉の陰から嘆いているでしょう。佃収先生は九州王朝論の主流派である古田史学などから独立し自らの研究を続けて来られました。それだけでも敬服に値しますが、九州のフィールド・ワークを徹底して続けて来られました。現在そうした研究者を見ません。かつては「法隆寺は移築された」を書かれた米田良三氏も居たのですが数年前氏も鬼籍に…。

現在、当会は熊本、福岡(福岡、太宰府、久留米)、佐賀、大分の4県で研究会、講演会、勉強会と合わせ現場でのフィールド・ワークも続けています。関心をお持ちの方は、ブログ「ひぼろぎ逍遥(跡宮)」外のトップ画面スケジュール表をご覧ください。また、九州内だけでも当会メンバーによるブログ(百嶋由一郎神社考古学に触発された)が十数名により20本(全国レベルでも356本)が公開されています。来年は準備万端100人の講演会を!

 

太宰府地名研究会+百嶋由一郎神社考古学研究会(文責:古川)

事務局 中島 茂 09052892994 (通信不能時連絡 古川 清久  090-62983294


無題.png

以下、今回の講演の関連個所

無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png
無題.png

posted by 奈東南雄 at 23:20| Comment(0) | 日記

2022年07月30日

036 ビアヘロ201 阿蘇大蛇伝説と祖母山の謎を解く熊本神代史研究会豊後トレッキングのご紹介

036 ビアヘロ201 阿蘇大蛇伝説と祖母山の謎を解く熊本神代史研究会豊後トレッキングのご紹介

2022724日(日) 2022年初夏祖母山北麓に大蛇伝説を探るトレッキング資料)

(転載) 阿蘇大蛇伝説と祖母山の謎を解く熊本神代史研究会豊後トレッキングのご紹介

百嶋神社考古学研究会 奈東 南雄 



ようやく祖母山とは何か?何故、祖母山なのか?そして誰が祖母山と名付けたのか?

それがこの間の 河上 猛とヤマトオグナ(後の日本武尊)の話の探求からようやく分かってきました。

今回はこれを現場で確認するトレッキングです。


 無題.png西原村


集合場所:高森町 スーパー・アスカAsuka 1000 (雨天延期2回まで)昼食+お賽銭:各自持参


  オープン参加(一般の方も気楽にご参加ください)資料代500円のみ 基本は各自車の用意を…


連絡 090-4518-3207(田上) 090 6298 3254(古川)

訪問予定地 : 穴森神社 → 健男霜凝日子神社(天気次第で現地で昼食) → 宇田姫神社 → 岡城址


梅雨明けしているかどうかも分かりませんが(雨天延期)、この間取り上げてきた河上 猛 の末裔が大神一族となったのではないかと言う仮説の集大成として現地トレッキングを行う事としました。

今回のトレッキングの前提(予備知識)とテーマは幾つかあります。当然、雨天順延、再順延あり


  ヤマトオグナ(後の日本武尊)の熊襲(河上猛)退治の舞台は佐賀県の佐賀大和IC付近だった

  誅殺されたはずの河上 猛は神埼市(吉野ヶ里町西隣)の旧脊振村で許され福岡市早良区に落ち延びた

  この話は故人)百嶋由一郎から聴かされていた どこに落ち延びたか名前も分かっているそれもまとまって住んでおられる…とまでは言っていたが、可哀そうだからとしてそれ以上を語らなかったし、我々も問い詰めてはいけないとしていたが、そのまま鬼籍に移られた

  この謎をそのままにはしておけないと思い、手掛かりを探し手書き資料を探っていると分かってきた それ以降の話はブログとして公開するのでお読み頂きたい 遅くも秋口には公開する

  そこで色々と考えていると その一族の名が大神(オオガミ)と分かったことから阿蘇の大蛇伝説の大神(オオガ)ではないのか?という事に思い至り、応神登場の謎まで見えてきたのだった


以下ひぼろぎ逍遥(跡宮)から オンエア公開は盆明けか?

936

ヤマトタケルの熊襲退治時代の勉強会を熊本県西原村でも

行います ⓫

934

ヤマトタケルの熊襲退治時代の佐賀県東部とはどのような

土地だったのか?下 ❿

933

ヤマトタケルの熊襲退治時代の佐賀県東部とはどのような

土地だったのか?上 ❾

932

早良の諏訪神社を「福岡県神社誌」から見ると ❽

931

河上猛がヤマトタケルに許された旧脊振村広滝とは ❼ 

928

続)大神一族とは河上 猛の後裔だったのではないか? ❻ 

927

大神一族とは河上 猛の後裔だったのではないか? ❺ 

926

「早良区に移動したその後の 河上 猛」小規模講演会向けに

用意したレジュメ ❹ 

925

福岡市早良区の諏訪神社の由緒略記を寄贈された方々の

ご出身地を知りたい ❸ 

924

福岡市早良区に移住した河上 猛(熊襲 猛)の一族が

住み着いた現地を確認した ❷

923

ヤマトオグナに誅伐された栄えある河上 猛は許され 今もその一族は

福岡市早良区に住んでいる ❶


分量が多いためゆっくりお読み下さい。

太宰府地名研究会+熊本神代史研究会トレッキングへのご案内 20227月のスケジュール



梅雨明け724日に大分県竹田市〜豊後大野市の3社に掛けてトレッキングを行います。何故、この神社を選んだかと言えば、この間取り上げてきたヤマト・オグナの熊襲退治の一方の主人公である河上 猛が、この祖母山北麓の穴森神社と健雄霜凝日子神社に関連する阿蘇大蛇伝説を創った大神一族ではなかったのか…という仮説と繋がってきたのです。それこそが百嶋由一郎が残した示唆が導いてくれたのでした。河上猛は阿蘇大神氏なのです。

22724日(日)10時に熊本県高森町スーパーASUKA:熊本県高森町高森1978-2集合(弁当持参)

テーマ:祖母山の祖母とはなにか? 一体誰の祖母なのか? では祖母の孫とは誰なのか?

無題.png

 穴森神社 カーナビ検索 大分県竹田市神原1432番地 祭神:穴森大明神 嫗嶽大明神とも…延喜式内社 豊後國直入郡 健男霜凝日子神社とも…        ※ お賽銭は各自でご準備下さい(オープン参加)。

➋ 健男霜凝日子(タケオシモゴリヒコ)神社神幸所(里宮) カーナビ検索竹田市神原2447

➌ 宇田姫神社 カーナビ検索 豊後大野市清川町三玉1493 御祭神   華ノ本姫

➍ 岡 城址 カーナビ検索大分県竹田市竹田2889  お杖代09062983254(古川)8月はお盆で休会

無題.png

529日(日)〜65日(日)の日程で、埼玉から佃収先生にお出でいただき、熊本(和水町)、福岡(北九州市戸畑)に於いて100人規模の方々にお集まり頂き延べ10時間に亘ってお話をお聴きしました。急施のため準備不足ながら82歳の年齢を押して2度もの講演会を行って頂いたことになります。日々追われる皆様には無理をしてお集まり頂き改めてお礼を申し上げます。次回以降準備万端に最大の取り組みを行います。来年は小倉単独開催でも100人を集めたいですね。

その他の小規模集会、勉強会のご案内  佐賀、熊本、大分への新たな展開のために

626日(日)1300〜 当日連絡:090-6298-3254 (古川)

謎の延喜式内社 七幸神社を探る! 佐賀県伊万里市山城町楠久524-11 七幸神社社務所 集合

佐賀県も延喜式内社が薄い地域ですが、旧式内社であり、明治の村社ながら廃社となり近年私的に再建された神社が在ったのです。隣接する曹洞宗本光寺の前住職小島宮司のお話をお聴きします。お杖代 古川

721日(木)1230〜当日連絡:090-6298-3254 (古川)

熊本県西原村 伊藤まさ子勉強会 熊本県西原村会場小森58058 俵山湧水そば 平田庵 正面私邸

テーマ:「大友家持歌日誌」から古代の真実を探る! 当日連絡:090-6298-3254

/(sun) 丁己歴史塾+太宰府地名研究会主催 佃 収 北九州市講演 へのお誘い

202265日(日)13001700 60人規模で佃 収 講演を北九州市(戸畑区)で行います

会場   福岡県北九州市戸畑区汐井町16 ウェルとばた 8F JR鹿児島本線 戸畑駅 隣

講演者 『古代文化を考える』(同人誌)主宰 佃 収 (著書多数) 参加費1000

テーマ 熊本は「貴国から高市天皇」でした北九州では、「日本人の起源」〜「倭の五王」まで

テキストとして「日本通史」(概要編)新「日本の古代史」(佃説)1200円当日:40部限定販売

佃 収氏の講演会を長年に亘って実施されてこられた事だけでも敬服に値しますが、菊水史談会の功績は何と言っても「納音(ナッチン)九州年号対応表」(和水町の旧庄屋の住居に保管されていた古文書の一部)の確保でした。これは長年に亘って佃 収先生の著書を隈なく読み込んで来られた前垣事務局長でなければ発見できなかった功績であり、あれほどの実例のある「九州年号」を認めない教育委員会や学芸員(通説が嫌がる九州王朝実在の証拠だからです)が如何に無視しようとも歴史的業績は消え去る事は無いでしょう。「九州年号」には「二中歴」を始めとして「海東諸国紀」「如是院年代記」「本朝皇代記」「和漢春秋暦」「興福寺年代記」「王代年代記」…など実際には20以上の実用例があり、明らかに近畿大和政権以前に実在し使用されていた言わば九州王朝を現在に伝える物証なのです。ただ、この幾つかに分かれた年号群は大半は対応するも、初年号が幾つかのもので「継体」「善記」と異なるとか、使用期間が違うと言った点があり、初歩的な議論では磐井の乱で九州王朝を滅ぼしたはずの継体(福井県から出てきたなどと言われる)の名が付された「継体」が何故九州年号と言えるのかと言った話まで出ていたのでした。

そこでお考え頂きたいのですが、この「九州年号」に幾つかの系統があり、それが九州王朝の分裂と関係があるのではないかと指摘されたのが佃 収先生でした。皆さんも後醍醐天皇と南北朝騒乱期の事は良くご存じの事と思います。近畿大和朝廷の延長上の内戦時においても従来の年号は使用されており、南北朝期の60年間は互いに別々の年号を創っていたのです。後に南朝の後亀山天皇は、統合を受諾し三種の神器が後小松天皇の御所に移され南北朝分裂が終わり、この時南朝の年号が廃止しされ北朝の年号「明徳」が存続したのでした。これについて古代史の復元シリーズ 5》「倭の五王と磐井の乱」を読まれるべきですが、新著の早わかり「日本通史」(概要編)新「日本の古代史」(佃説)第2二部第1章物部麁鹿火政権(佃説)以下第2章阿毎王権(俀国)、第3章豊王権、第4章上宮王権、第5章天武王権、第6高市天皇…をお読みください。実に素晴らしいクレバーな解析です。

古田武彦が鬼籍に入り、続く多くの研究者も続き九州王朝論を正しいと考える研究者は、佃 収氏と僅かな方しか残っておらず、何れ、九州王朝って何のことだと言われる時代が目前に来ています。かつては九州王朝を意識した研究会もあったのですが、研究者を失い村興し町興し果ては世界遺産登録に浮かれ、通説派の教育委員会関係者や学芸員のご高説を賜り賛意を表する状況では早晩九州王朝研究も消失するでしょう。中には自称九州王朝論の研究者と称すも、行政の芸人に成り下がる方々も出るようではさぞかし古田武彦も草葉の陰から嘆いているでしょう。佃収先生は九州王朝論の主流派である古田史学などから独立し自らの研究を続けて来られました。それだけでも敬服に値しますが、九州のフィールド・ワークを徹底して続けて来られました。現在そうした研究者を見ません。かつては「法隆寺は移築された」を書かれた米田良三氏も居たのですが数年前氏も鬼籍に…。

現在、当会は熊本、福岡(福岡、太宰府、久留米)、佐賀、大分の4県で研究会、講演会、勉強会と合わせ現場でのフィールド・ワークも続けています。関心をお持ちの方は、ブログ「ひぼろぎ逍遥(跡宮)」外のトップ画面スケジュール表をご覧ください。また、九州内だけでも当会メンバーによるブログ(百嶋由一郎神社考古学に触発された)が十数名により20本(全国レベルでも356本)が公開されています。来年は準備万端100人の講演会を!

太宰府地名研究会+百嶋由一郎神社考古学研究会(文責:古川)


事務局 中島 茂 09052892994 (通信不能時連絡 古川 清久  090-62983294

無題.png

7月以降のスケジュール


伊藤まさ子「万葉集」勉強会 西原村 2022721日(木)12301600

会場:熊本県阿蘇郡西原村小森58058 俵山湧水そば 平田庵 正面私邸


太宰府地名研+熊本神代史研究会トレッキング

7月期  要:参加費資料代(注意:内容変更有)

2022724日(日)10:001700


22724日(日)10時に熊本県高森町スーパーASUKA:熊本県高森町高森1978-2集合(弁当持参)。

テーマ:祖母山の祖母とはなにか? 一体誰の祖母なのか? では祖母の孫とは誰なのか?

「誰の祖母」山なのか 無題.png


ヤマトオグナ(後の日本武尊)に誅殺されたとされる熊襲猛の話は良く知られるが、実際には佐賀県の大和IC付近にいた熊襲猛は誅殺を免れ背振を越え福岡市早良区の某所に移動しその末裔は今もまとまって住んでおられます。それとは別にその末裔が竹田〜豊後大野の大神一族となったのではないか?と話が拡大しています。

通説と言うか宮崎のインチキ神話は神武僭称贈る崇神を神武に偽装しウガヤフキアエズの祖母に仕立てています。


 穴森神社 カーナビ検索 大分県竹田市神原1432番地 祭神:穴森大明神 別名嫗嶽大明神とも…

昼食場所:延喜式内社 豊後國直入郡 健男霜凝日子神社

無題.png

嫗岳(うばだけ)大明神の化身である大蛇が住んでいた厳窟が御神体。宇田姫神社の御神体である穴と通じているという説がある。国民的古典『平家物語』緒環の章に登場する由緒ある社殿と洞窟。

物語は広く中国や東南アジア、そして日本の大和三輪山に類似する神婚伝説、大蛇伝説の英雄物語で、また男女出会いの恋物語です。

穴森神社にある洞窟こそ名曲『荒城の月』で有名な竹田市のシンボル『岡城』築城主、緒方三郎惟栄のふるさとなのです。今では恋と出会いの場所となり参拝者も多く、洞窟内の小石ひとつを持ち帰ると子宝に恵まれるとのいい伝えがあります。願いが叶ったら小石をそっと元の洞窟へ。   竹田市HPより


➋ 健男霜凝日子(タケオシモゴリヒコ)神社神幸所(里宮) カーナビ検索竹田市神原2447


では、健男霜凝日子とは一体誰なのでしょうか?

ここでは結論のみ申し上げます。実は神武高兄五瀬命なのです。

 金山彦と大山祗の姉オチノヒメ(母=天御中主命、父=ウマシアシカビヒコヂ 金 越智)の兄が五瀬命、妹がアイラツ姫(神武の妃)だから三五の桐紋(天皇家姻族)を使うことができるのです。

無題.png

この延喜式内小社は豊玉姫を崇神=神武天皇として描いていますが、阿蘇初代宮司家として知られる惟人の姉か妹である奈留田姫と当時久留米の高良山に居たウガヤフキアエズとの間に生まれたのが河上 猛だったのです(百嶋由一郎最終神代系譜)。奈留田姫は八坂刀女と名を改め建御名方と共に諏訪に道行となるのです。奈留田姫とウガヤフキアエズとの間に生まれたのが河上 猛だったのです。

無題.png通説の嘘が見えてきました。祖母山と名付け山頂に姥岳神社までを置いたのは、崇神天皇の一族だとでも強弁するのでしょうか。私には、大神の一族こそが相応しいと思います。

阿蘇宮司家は惟人が継ぎ、誅伐された大神氏=河上 猛の一族は傍系となったはずです。

だからこそ新天地を求め東へ進出したのです。

恐らく、豊玉姫と姥岳神社(鴨玉依姫)を祖母山山頂に祀ったのは大神一族以外には考えようがありません。その鬱積した思いこそが祖母山の御使いとしての大蛇伝説を生み出し、自らを祖母山の豊玉姫の孫にあたると自称した人こそ河上 猛もしくはその後裔なのですが 改竄と偽装の書故これ以上の追及は困難を極めます。

何れにせよ、後の崇神を神武天皇として描こうとしたのは阿蘇氏の一派の藤原であったのであり、そこから神武天皇がウガヤフキアエズの子としてに生まれたという宮崎のインチキ神話が生まれるのです。

無題.png

➌ 宇田姫神社 カーナビ検索豊後大野市清川町三玉1493 御祭神   華ノ本姫


大蛇と華御本姫(はなのおもとひめ)の伝説は平家物語第八巻緒環の章に登場しています。

平家物語の本文には「華御本姫」とは記載されず、「豊後国の片山里に昔、女ありけり。ある人の一人娘、夫もなかりけるがもとへ」と書かれています。大分県豊後大野市から気ままなblogより

無題.pngこの華御本姫こそが穴森神社から通ってきた祖母山の使い大蛇との間に産んだのが大神惟基との説話が生まれ、阿蘇大神一族は大蛇の子孫と称し、辛島氏と共に宇佐神宮に応神を持ち込んだ大神比義となるのです。

 では、この大神の一族とは誰なのでしょうか?このため博多の櫛田神社の花の本も芭蕉の俳号などではないのです。それに一つの仮説を与えたのがヤマトオグナの熊襲退治の説話無題.pngでした。そして、後の日本武尊に誅伐されたとされた「河上 猛」の後裔氏族だったのだと考えるのです。


➍ 岡 城址 カーナビ検索大分県竹田市竹田2889


大神惟基から数代降り世は鎌倉政権成立期を迎えます。後の頼朝、義経の兄弟不和は良く知られていますが、後白河法皇に唆され義経は豊前、筑前、肥前を与えるとして九州へと向かう途中海没したとの説があります。

 これを受け入れ義経を総大将に九州を平定し、頼朝と一戦を構えようとしたのが

平家が集結しているとして宇佐神宮焼き討ちを行い義経を堅牢な岡城(大神城)に盾て籠もろうとしたのが後裔の大神惟栄(コレヨシ)なのです。

参加希望の方は 09062983254まで(古川)

無題.png

上)百嶋由一郎016-2超細密金神系譜(部分) 下)百嶋由一郎最終神代系譜(部分)

無題.png
無題.png
無題.png
posted by 奈東南雄 at 23:59| Comment(0) | 日記

035 ビアヘロ201 阿蘇大蛇伝説と祖母山の謎を解く熊本神代史研究会豊後トレッキングのご紹介

035 ビアヘロ201 阿蘇大蛇伝説と祖母山の謎を解く熊本神代史研究会豊後トレッキングのご紹介

2022724日(日) 2022年初夏祖母山北麓に大蛇伝説を探るトレッキング資料)

(転載) 阿蘇大蛇伝説と祖母山の謎を解く熊本神代史研究会豊後トレッキングのご紹介

百嶋神社考古学研究会 奈東 南雄 



ようやく祖母山とは何か?何故、祖母山なのか?そして誰が祖母山と名付けたのか?

それがこの間の 河上 猛とヤマトオグナ(後の日本武尊)の話の探求からようやく分かってきました。

今回はこれを現場で確認するトレッキングです。


無題.png 西原村


集合場所:高森町 スーパー・アスカAsuka 1000 (雨天延期2回まで)昼食+お賽銭:各自持参


  オープン参加(一般の方も気楽にご参加ください)資料代500円のみ 基本は各自車の用意を…


連絡 090-4518-3207(田上) 090 6298 3254(古川)

訪問予定地 : 穴森神社 → 健男霜凝日子神社(天気次第で現地で昼食) → 宇田姫神社 → 岡城址


梅雨明けしているかどうかも分かりませんが(雨天延期)、この間取り上げてきた河上 猛 の末裔が大神一族となったのではないかと言う仮説の集大成として現地トレッキングを行う事としました。

今回のトレッキングの前提(予備知識)とテーマは幾つかあります。当然、雨天順延、再順延あり


  ヤマトオグナ(後の日本武尊)の熊襲(河上猛)退治の舞台は佐賀県の佐賀大和IC付近だった

  誅殺されたはずの河上 猛は神埼市(吉野ヶ里町西隣)の旧脊振村で許され福岡市早良区に落ち延びた

  この話は 故)百嶋由一郎から聴かされていた どこに落ち延びたか名前も分かっているそれもまとまって住んでおられる…とまでは言っていたが、可哀そうだからとしてそれ以上を語らなかったし、我々も問い詰めてはいけないとしていたが、そのまま鬼籍に移られた

  この謎をそのままにはしておけないと思い、手掛かりを探し手書き資料を探っていると分かってきた それ以降の話はブログとして公開するのでお読み頂きたい 遅くも秋口には公開する

  そこで色々と考えていると その一族の名が大神(オオガミ)と分かったことから阿蘇の大蛇伝説の大神(オオガ)ではないのか?という事に思い至り、応神登場の謎まで見えてきたのだった


以下ひぼろぎ逍遥(跡宮)から オンエア公開は盆明けか?

936

ヤマトタケルの熊襲退治時代の勉強会を熊本県西原村でも行います ⓫

934

ヤマトタケルの熊襲退治時代の佐賀県東部とはどのような土地だったのか?下 ❿

933

ヤマトタケルの熊襲退治時代の佐賀県東部とはどのような土地だったのか?上 ❾

932

早良の諏訪神社を「福岡県神社誌」から見ると ❽

931

河上猛がヤマトタケルに許された旧脊振村広滝とは ❼ 

928

続)大神一族とは河上 猛の後裔だったのではないか? ❻ 

927

大神一族とは河上 猛の後裔だったのではないか? ❺ 

926

「早良区に移動したその後の 河上 猛」小規模講演会向けに

用意したレジュメ ❹ 

925

福岡市早良区の諏訪神社の由緒略記を寄贈された方々の

ご出身地を知りたい ❸ 

924

福岡市早良区に移住した河上 猛(熊襲 猛)の一族が

住み着いた現地を確認した ❷

923

ヤマトオグナに誅伐された栄えある河上 猛は許され

今もその一族は福岡市早良区に住んでいる ❶


分量が多いため関心をお持ちの方はネットから入りお読み下さい。

太宰府地名研究会+熊本神代史研究会トレッキングへのご案内 20227月のスケジュール

梅雨明け724日に大分県竹田市〜豊後大野市の3社に掛けてトレッキングを行います。何故、この神社を選んだかと言えば、この間取り上げてきたヤマト・オグナの熊襲退治の一方の主人公である河上 猛が、この祖母山北麓の穴森神社と健雄霜凝日子神社に関連する阿蘇大蛇伝説を創った大神一族ではなかったのか…という仮説と繋がってきたのです。それこそが百嶋由一郎が残した示唆が導いてくれたのでした。河上猛は阿蘇大神氏なのです。

22724日(日)10時に熊本県高森町スーパーASUKA:熊本県高森町大字高森1978-2集合(弁当持参)。

テーマ:祖母山の祖母とはなにか? 一体誰の祖母なのか? では祖母の孫とは誰なのか?

無題.png



 穴森神社 カーナビ検索 大分県竹田市神原1432番地 祭神:穴森大明神 嫗嶽大明神とも…延喜式内社 豊後國直入郡 健男霜凝日子神社とも…   ※ お賽銭は各自でご準備下さい(オープン参加)。

➋ 健男霜凝日子(タケオシモゴリヒコ)神社神幸所(里宮) カーナビ検索竹田市神原2447

➌ 宇田姫神社 カーナビ検索 豊後大野市清川町三玉1493 御祭神   華ノ本姫

➍ 岡 城址 カーナビ検索大分県竹田市竹田2889   お杖代09062983254(古川)

無題.png

529日(日)〜65日(日)の日程で、埼玉から佃収先生にお出でいただき、熊本(和水町)、福岡(北九州市戸畑)に於いて100人規模の方々にお集まり頂き延べ10時間に亘ってお話をお聴きしました。急施のため準備不足ながら82歳の年齢を押して2度もの講演会を行って頂いたことになります。日々追われる皆様には無理をしてお集まり頂き改めてお礼を申し上げます。次回以降準備万端に最大の取り組みを行います。来年は小倉単独開催でも100人を集めたいですね。

その他の小規模集会、勉強会のご案内  佐賀、熊本、大分への新たな展開のために

626日(日)1300〜 当日連絡:090-6298-3254 (古川)

謎の延喜式内社 七幸神社を探る! 佐賀県伊万里市山城町楠久524-11 七幸神社社務所 集合

佐賀県も延喜式内社が薄い地域ですが、旧式内社であり、明治の村社ながら廃社となり近年私的に再建された神社が在ったのです。隣接する曹洞宗本光寺の前住職小島宮司のお話をお聴きします。お杖代古川  

721日(木)1230〜当日連絡:090-6298-3254 (古川)

 熊本県西原村 伊藤まさ子勉強会 熊本県西原村会場小森58058 俵山湧水そば 平田庵 正面私邸

テーマ:「大友家持歌日誌」から古代の真実を探る! 当日連絡:090-6298-3254


/(sun) 丁己歴史塾+太宰府地名研究会主催 佃 収 北九州市講演 へのお誘い

202265日(日)13001700 60人規模で佃 収 講演を北九州市(戸畑区)で行います

会場   福岡県北九州市戸畑区汐井町16 ウェルとばた 8F JR鹿児島本線 戸畑駅 隣

講演者 『古代文化を考える』(同人誌)主宰 佃 収 (著書多数) 参加費1000

テーマ 熊本は「貴国から高市天皇」でした北九州では、「日本人の起源」〜「倭の五王」まで

テキストとして「日本通史」(概要編)新「日本の古代史」(佃説)1200円当日:40部限定販売


無題.png

佃 収氏の講演会を長年に亘って実施されてこられた事だけでも敬服に値しますが、菊水史談会の功績は何と言っても「納音(ナッチン)九州年号対応表」(和水町の旧庄屋の住居に保管されていた古文書の一部)の確保でした。これは長年に亘って佃 収先生の著書を隈なく読み込んで来られた前垣事務局長でなければ発見できなかった功績であり、あれほどの実例のある「九州年号」を認めない教育委員会や学芸員(通説が嫌がる九州王朝実在の証拠だからです)が如何に無視しようとも歴史的業績は消え去る事は無いでしょう。「九州年号」には「二中歴」を始めとして「海東諸国紀」「如是院年代記」「本朝皇代記」「和漢春秋暦」「興福寺年代記」「王代年代記」…など実際には20以上の実用例があり、明らかに近畿大和政権以前に実在し使用されていた言わば九州王朝を現在に伝える物証なのです。ただ、この幾つかに分かれた年号群は大半は対応するも、初年号が幾つかのもので「継体」「善記」と異なるとか、使用期間が違うと言った点があり、初歩的な議論では磐井の乱で九州王朝を滅ぼしたはずの継体(福井県から出てきたなどと言われる)の名が付された「継体」が何故九州年号と言えるのかと言った話まで出ていたのでした。

そこでお考え頂きたいのですが、この「九州年号」に幾つかの系統があり、それが九州王朝の分裂と関係があるのではないかと指摘されたのが佃 収先生でした。皆さんも後醍醐天皇と南北朝騒乱期の事は良くご存じの事と思います。近畿大和朝廷の延長上の内戦時においても従来の年号は使用されており、南北朝期の60年間は互いに別々の年号を創っていたのです。後に南朝の後亀山天皇は、統合を受諾し三種の神器が後小松天皇の御所に移され南北朝分裂が終わり、この時南朝の年号が廃止しされ北朝の年号「明徳」が存続したのでした。これについて古代史の復元シリーズ 5》「倭の五王と磐井の乱」を読まれるべきですが、新著の早わかり「日本通史」(概要編)新「日本の古代史」(佃説)第2二部第1章物部麁鹿火政権(佃説)以下第2章阿毎王権(俀国)、第3章豊王権、第4章上宮王権、第5章天武王権、第6高市天皇…をお読みください。実に素晴らしいクレバーな解析です。

古田武彦が鬼籍に入り、続く多くの研究者も続き九州王朝論を正しいと考える研究者は、佃 収氏と僅かな方しか残っておらず、何れ、九州王朝って何のことだと言われる時代が目前に来ています。かつては九州王朝を意識した研究会もあったのですが、研究者を失い村興し町興し果ては世界遺産登録に浮かれ、通説派の教育委員会関係者や学芸員のご高説を賜り賛意を表する状況では早晩九州王朝研究も消失するでしょう。中には自称九州王朝論の研究者と称すも、行政の芸人に成り下がる方々も出るようではさぞかし古田武彦も草葉の陰から嘆いているでしょう。佃収先生は九州王朝論の主流派である古田史学などから独立し自らの研究を続けて来られました。それだけでも敬服に値しますが、九州のフィールド・ワークを徹底して続けて来られました。現在そうした研究者を見ません。かつては「法隆寺は移築された」を書かれた米田良三氏も居たのですが数年前氏も鬼籍に…。

現在、当会は熊本、福岡(福岡、太宰府、久留米)、佐賀、大分の4県で研究会、講演会、勉強会と合わせ現場でのフィールド・ワークも続けています。関心をお持ちの方は、ブログ「ひぼろぎ逍遥(跡宮)」外のトップ画面スケジュール表をご覧ください。また、九州内だけでも当会メンバーによるブログ(百嶋由一郎神社考古学に触発された)が十数名により20本(全国レベルでも356本)が公開されています。来年は準備万端100人の講演会を!

太宰府地名研究会+百嶋由一郎神社考古学研究会(文責:古川)

事務局 中島 茂 09052892994 (通信不能時連絡 古川 清久  090-62983294

無題.png

7月以降のスケジュール


伊藤まさ子「万葉集」勉強会 西原村 2022721日(木)12301600

会場:熊本県阿蘇郡西原村小森58058 俵山湧水そば 平田庵 正面私邸


太宰府地名研+熊本神代史研究会トレッキング

7月期  要:参加費資料代(注意:内容変更有)

2022724日(日)10:001700


22724日(日)10時に熊本県高森町スーパーASUKA:熊本県高森町高森1978-2集合(弁当持参)。

テーマ:祖母山の祖母とはなにか? 一体誰の祖母なのか? では祖母の孫とは誰なのか?

「誰の祖母」山なのか 無題.png


ヤマトオグナ(後の日本武尊)に誅殺されたとされる熊襲猛の話は良く知られるが、実際には佐賀県の大和IC付近にいた熊襲猛は誅殺を免れ背振を越え福岡市早良区の某所に移動しその末裔は今もまとまって住んでおられます。それとは別にその末裔が竹田〜豊後大野の大神一族となったのではないか?と話が拡大しています。

通説と言うか宮崎のインチキ神話は神武僭称贈る崇神を神武に偽装しウガヤフキアエズの祖母に仕立てています。

 穴森神社 カーナビ検索 大分県竹田市神原1432番地 祭神:穴森大明神 別名嫗嶽大明神とも…

昼食場所:延喜式内社 豊後國直入郡 健男霜凝日子神社

無題.png

嫗岳(うばだけ)大明神の化身である大蛇が住んでいた厳窟が御神体。宇田姫神社の御神体である穴と通じているという説がある。国民的古典『平家物語』緒環の章に登場する由緒ある社殿と洞窟。

物語は広く中国や東南アジア、そして日本の大和三輪山に類似する神婚伝説、大蛇伝説の英雄物語で、また男女出会いの恋物語です。

穴森神社にある洞窟こそ名曲『荒城の月』で有名な竹田市のシンボル『岡城』築城主、緒方三郎惟栄のふるさとなのです。今では恋と出会いの場所となり参拝者も多く、洞窟内の小石ひとつを持ち帰ると子宝に恵まれるとのいい伝えがあります。願いが叶ったら小石をそっと元の洞窟へ。   竹田市HPより


➋ 健男霜凝日子(タケオシモゴリヒコ)神社神幸所(里宮) カーナビ検索竹田市神原2447


では、健男霜凝日子とは一体誰なのでしょうか?

ここでは結論のみ申し上げます。実は神武高兄五瀬命なのです。

 金山彦と大山祗の姉オチノヒメ(母=天御中主命、父=ウマシアシカビヒコヂ 金 越智)の兄が五瀬命、妹がアイラツ姫(神武の妃)だから三五の桐紋(天皇家姻族)を使うことができるのです。

無題.png

 この延喜式内小社は豊玉姫を崇神=神武天皇として描いていますが、阿蘇初代宮司家として知られる惟人の姉か妹である奈留田姫と当時久留米の高良山に居たウガヤフキアエズとの間に生まれたのが河上 猛だったのです(百嶋由一郎最終神代系譜)。奈無題.png留田姫は八坂刀女と名を改め建御名方と共に諏訪に道行となるのです。奈留田姫とウガヤフキアエズとの間に生まれたのが河上 猛だったのです。

通説の嘘が見えてきました。祖母山と名付け山頂に姥岳神社までを置いたのは、崇神天皇の一族だとでも強弁するのでしょうか。私には、大神の一族こそが相応しいと思います。

阿蘇宮司家は惟人が継ぎ、誅伐された大神氏=河上 猛の一族は傍系となったはずです。

だからこそ新天地を求め東へ進出したのです。

恐らく、豊玉姫と姥岳神社(鴨玉依姫)を祖母山山頂に祀ったのは大神一族以外には考えようがありません。その鬱積した思いこそが祖母山の御使いとしての大蛇伝説を生み出し、自らを祖母山の豊玉姫の孫にあたると自称した人こそ河上 猛もしくはその後裔なのですが 改竄と偽装の書故これ以上の追及は困難を極めます。

何れにせよ、後の崇神を神武天皇として描こうとしたのは阿蘇氏の一派の藤原であったのであり、そこから神武天皇がウガヤフキアエズの子としてに生まれたという宮崎のインチキ神話が生まれるのです。

無題.png

➌ 宇田姫神社 カーナビ検索豊後大野市清川町三玉1493 御祭神   華ノ本姫


大蛇と華御本姫(はなのおもとひめ)の伝説は平家物語第八巻緒環の章に登場しています。

平家物語の本文には「華御本姫」とは記載されず、「豊後国の片山里に昔、女ありけり。ある人の一人娘、夫もなかりけるがもとへ」と書かれています。大分県豊後大野市から気ままなblogより

無題.pngこの華御本姫こそが穴森神社から通ってきた祖母山の使い大蛇との間に産んだのが大神惟基との説話が生まれ、阿蘇大神一族は大蛇の子孫と称し、辛島氏と共に宇佐神宮に応神を持ち込んだ大神比義となるのです。

 では、この大神の一族とは誰なのでしょうか?このため博多の櫛田神社の花の本も芭蕉の俳号などではないのです。そ無題.pngれに一つの仮説を与えたのがヤマトオグナの熊襲退治の説話でした。そして、後の日本武尊に誅伐されたとされた「河上 猛」の後裔氏族だったのだと考えるのです。


➍ 岡 城址 カーナビ検索大分県竹田市竹田2889


大神惟基から数代降り世は鎌倉政権成立期を迎えます。後の頼朝、義経の兄弟不和は良く知られていますが、後白河法皇に唆され義経は豊前、筑前、肥前を与えるとして九州へと向かう途中海没したとの説があります。

 これを受け入れ義経を総大将に九州を平定し、頼朝と一戦を構えようとしたのが

平家が集結しているとして宇佐神宮焼き討ちを行い義経を堅牢な岡城(大神城)に盾て籠もろうとしたのが後裔の大神惟栄(コレヨシ)なのです。

参加希望の方は 09062983254まで(古川)

無題.png

上)百嶋由一郎016-2超細密金神系譜(部分) 下)百嶋由一郎最終神代系譜(部分)

無題.png
無題.png
posted by 奈東南雄 at 23:50| Comment(0) | 日記